Part 3 文の基本形を確かめる

ヒント14 文の基本形

 「天気がいい」は、「何がどうした」(主語+述語)の組み合わせです。
 「日傘を差す」は、「何をどうした」(目的語+述語)の組み合わせです。
  この2つの組み合わせを、私は「文の基本形」と呼んでいます。

(◆は原文、は改善案)

◆日々の頑張りや努力が、これからの人生で必要な力が身に付く

日々の頑張りや努力を積み重ねれば、これからの人生で必要な力が身に付く

 「努力が……、力が身に付く」では、文の形になっていません。
 改善案のように、「努力を積み重ねる」(目的語+述語)、「力が身に付く」(主語+述語)とすれば、言いたいことが明確になります。

(『文章力の基本の基本』)

◆金メダルを目指さないと、メダルではないと思います。

 これはオリンピックで期待される選手の発言でした。話し言葉ですから大目に見てもいいのですが、本当は次の2つのことを言いたかったのでしょう。

金メダルを目指したいと思います。(私にとって)金メダル以外は、メダルとは言えません。

 語彙が豊かかどうかを言う以前に、誰もが知っているやさしい言葉を適切に組み合わせる力こそが大事なのです。文章が「書ける、書けない」の別れ道は、そこにあります。

(『文章力を伸ばす』)

ヒント15 「何が(誰が)、どうした」のか(主語+述語)

◆このカードの有効期限は、来年3月末までご利用いただけます

◇このカードの有効期限は、来年3月末までです

◇このカードは、来年3月末までご利用いただけます

 この原文は主語と述語がかみ合っておらず、ズレてしまっています。改善案のいずれかにすれば、しっかりかみ合って、しかも簡潔です。

◆最近の虐待のニュースの中で一番大きく取り上げられていたのは、5歳の女の子が十分な食事を与えられず、両親に「許してください」という手紙を書いたのに暴行され亡くなった

 「大きく取り上げられていたのは…亡くなった」では、主語+述語の組み合わせができていません。次のように書けば、その組み合わせができます。

最近の虐待のニュースの中で一番大きく取り上げられていたのは、5歳の女の子が十分な食事を与えられず、両親に「許してください」という手紙を書いたのに暴行され亡くなった事件だ

 「事件だ」という述語は欠かせません。この文は、次のように2つに分けると、もっと分かりやすくなります。

◇5歳の女の子が十分な食事を与えられず、両親に「許してください」という手紙を書いたのに暴行され亡くなった。最近の虐待のニュースの中で、この事件が一番大きく取り上げられていた

 「女の子」と「事件」という二つの主語があるので、文も二つに分けるとスラスラ理解できるのです。

ヒント16 「何に(誰に)、何をした」のか(目的語+述語)

◆妹は、料理教室を習い始めた。

◇妹は、料理を習い始めた。

◇妹は、料理教室に通い始めた。

 この例は、初歩的に過ぎますか? しかし、油断は禁物です。

(『文章力の基本100題』)

◆子供がいなかった時と今で、自由に使える時間がとても少なくなりました。

◇子供がいなかった時と比べると、今は自由に使える時間がとても少なくなりました。

 「時と比べる」という目的語+述語の組み合わせを作ると、文の基本形ができました。
 よく言われる「主語と述語」の問題より、「目的語と述語」の組み合わせがうまくできていない例が多く見られます。

(『文章力を伸ばす』)

ヒント17 主語を間違えない

 漫然と文章を書いていると、うっかり主語を間違えてしまうことがあります。

◆私の研究の動機は、学生が将来教員になった時に、この物語を教材として活用できると考えました

私は、学生が将来教員になった時に、この物語を教材として活用できると考えました

◇私の研究の動機は、学生が将来教員になった時に、この物語を教材として活用できると考えたことでした

 この原文は、大学の先生が書いていたものですが、「動機は、考えました」では、かみ合いません。
 「私は、考えました」か、「動機は、……と考えたことでした」とすれば、主語と述語の組み合わせが適切になります。

ヒント18 主語をなるべく変えない

 文の途中で断りなしに主語や主題を変えてしまうと、読み手は戸惑ってしまいます。なるべく同じ主語で貫くようにし、主語を変えたい時にはそれを明示します。

◆大学の授業で学生が自分の意見を堂々と主張する機会を設け、国際的に通用する人間に育ってほしい。

◇大学の授業で学生が自分の意見を堂々と主張する機会を設け、国際的に通用する人間を育ててほしい。

 原文の主語は、前半が「大学」で、後半が「学生」です。改善案は、主語を「大学」で一貫させました。

(『文章力の基本100題』)

私は社会人の合唱団に入っていて、全国大会にも出場経験のある伝統ある合唱団だ

私は社会人の合唱団に入っている。その合唱団は伝統があり、全国大会にも出場経験がある。

 「私は」という主語で始まった文が、いつの間にか「その合唱団は」という主語に変わっていました。新しい主語を明示するとともに、文も分けると明快になります。

ヒント19 述語の共用にご用心

 「時間もお金もかかる」という表現は、全く問題ありません。「時間」と「お金」が、「かかる」という述語を共用しているケースです。
 しかし、「山や海で泳ぐ」は変です。「山に登り、海で泳ぐ」と別の述語が必要です。

◆詳しくは店頭のポスターか、スタッフにお尋ねください。

◇詳しくは店頭のポスターをご覧になるか、スタッフにお尋ねください。

 ポスターに尋ねても、答えは返って来ません。「ポスターを見る(ご覧になる)」「スタッフに尋ねる」と、書き分ける必要があります。

◆これから先その友人とは、お互いに就職や家庭を持ったりして、あまり会えなくなると思います。

◇これから先その友人とは、お互いに就職したり家庭を持ったりして、あまり会えなくなると思います。

◇これから先その友人とは、お互いに就職や結婚をしたりして、あまり会えなくなると思います。

 「就職を持つ」はおかしいですね。「就職する」「家庭を持つ」と、別の述語が必要です。
 ただし、「家庭を持つ」を「結婚する」と言い換えれば、2つ目の改善案のように、「する」という述語を共用することができます。

(『文章力を伸ばす』)

ヒント20 「ことだ」で受ける

 「長所は」「特徴は」「役割は」などの属性(人や物の性質)を言う時は、「こと」で受ける必要があります。「理想は」「理由は」なども同じです。

◆彼女の長所は、目配り、気配りができる

◇彼女の長所は、目配り、気配りができることだ

彼女は、目配り、気配りができる

 「長所はできる」ではなく、「できることが長所」なのです。

驚いたのは、満員電車の中でお化粧をする女性がいた

驚いたのは、満員電車の中でお化粧をする女性がいたことだ

驚いたことに、満員電車の中でお化粧をする女性がいた

 「驚いたのは」は、「驚いたことは」と同じですから、「いたことだ」と名詞で受けます。「驚いたことに」と始めれば、「いた」でかみ合います。

(『文章力の基本100題』『文章力を伸ばす』)

ヒント21 日本語は述語中心言語

 日本語は主語をしばしば省くことができますし、もともと主語がない文もあります。
 川端康成の『雪国』の冒頭にある「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という文は、もともと主語がありません。汽車の中にいる誰かの視点で書かれていますが、読者はその誰かと視点を共有できれば十分なのです。

 しかし、「雪国であった」という述語は決定的に重要です。特殊な場合を除き、述語は省くことができません。

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電子書籍シリーズ『命ささらぐ』
(アマゾン他で発売中。1部280円+税)

「第1部 タイがこの上なくのどかであった頃」

 工業化が緒に就いたばかりで、何事も効率的には進まない1970年代前半に、読み書きを一切学んだことがない中国系怪物社長の下で、20人のフランス人技術者と苦楽を共にした。

 片田舎からやって来た陽気なメイドとの交流を終始楽しんだ。そんなタイの社会の中にどっぷり浸かって暮らしてみると、人間のおかしさ、あやうさ、あたたかさが見えて来た。

 10年後に再びタイに赴任してみると、その間にタイは、工業化に見事に適応していた。

 屋外ダンスホール
 金曜日の今日の夜、工場の隣の小さなマーケットで、屋外ダンスパーティーが開かれた。広場の真ん中に高さ一メートルあまりの舞台が作られ、その周囲をカラフルな蛍光灯が照らしている。楽団が、実に軽快で陽気でユーモラスな曲を次々と奏でる。二人の歌手が交互に歌う。男性の司会者が、早口で雰囲気を盛り上げる。
 周囲を取り巻く男性のお客が、舞台の下で1バーツ(十五円)払って切符を買い、それを持って舞台に上がってお目当てのお姉さんに渡すと、一曲一緒に踊ってくれる。十二人ほどいるお姉さんは、そろいのきれいな黄色のミニのワンピースを着ている。日本の盆踊りみたいに輪になって、パートナーとの間を少し空けて、腰をくねくねさせ、浮かれて陽気にリズミカルに踊る。互いに両手を上げて踊る姿は、沖縄の踊りや阿波踊りと似ている。
 舞台を取り巻く大勢の見物客は、バンコクから来たと思われる楽団や歌手、踊り子たちを、憧れの眼差しで見つめている。それにしても、クラリネットとさまざまな打楽器が主役のタイのポピュラー音楽は、実にユニークで楽しい。
 今日は、ちょっと涼しいと感ずる日だった。と言っても、半袖シャツを長袖にすれば足りる程度だ。それなのに、お洒落のために分厚い長いコートを着て踊っている人がいた。何と首の周りに毛皮まで付けていた。いきがっていたのだと思う。(1972.12.1)

 素朴な鏡パダム
 メイドのパダムは、一年間我々の大切な生活のパートナーであった。彼女を通じて、タイの庶民との触れ合いを楽しんだ。
 彼女は、素朴な鏡である。この間、パダムたちが写っている八ミリ映画を見せたら大喜びであったが、無声映画なので、自分が声を出さずに笑っているのが特に面白かったらしい。他のメイドたちの前で何度もその真似をして、声を出さずに笑って見せていた。

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