Part 4 簡潔に書く

ヒント22 重複を省く

 簡潔に書くために、まずは重複を省きましょう。

(◆は原文、は改善案)

母の味にはおいしい以前に違った要素あり、食べてほっとするなど、おいしい以外要素母の味には存在します

◇母の味には、「食べてほっとする」など、おいしい以前の要素があります。

 「母の味」と「要素」が、2度ずつ書かれていました。
 「おいしい以前」と「おいしい以外」も、ほとんど同じ言葉です。
 「あり」と「存在します」も同じ意味です。

◆「今、人に伝えたいこと」という課題を与えられて思い浮かんだことは、自分が自信を持って考えていることを文章にしなければならないと考えました

◇「今、人に伝えたいこと」という課題を与えられて、自分が自信を持って考えていることを文章にしなければならないと考えました

 「思い浮かんだ」と「考えた」の意味はほとんど同じですから、原文は、「考えたことは…考えました」と書いたのと同じです。
 日本語は結論(言いたいこと)が最後の述語で表現されますから、最初に思い入れのあることから書き始めると、最初と最後に同じことを書いてしまいがちです。

ヒント23 無駄な言葉を削る

◆東京は基本的に何でもそろっているから便利である。特に私が住んでいる吉祥寺はお店が多いので、基本的に吉祥寺の外に出なくても問題なく暮らせる。

◇東京は何でもそろっているから便利である。特に私が住んでいる吉祥寺はお店が多いので、外に出なくても問題なく暮らせる。

 「基本的に」はよく使われる言葉ですが、もし突っ込まれたら「例外はあります」と言い逃れをするために書かれているかのようです。この例の場合は、2つとも取り去る方がいいでしょう。

(『文章力の基本』)

◆一人になるという時間や場所があまりなかったということもあり、水泳が私にとってリラックスできる場だったというのがあると思います。

◇一人になる時間や場所があまりなかったので、水泳が私にとってリラックスできる場でした。

 3つの「という」は不要でした。
 「だったというのがあると思います」は「でした」で足ります。

(『文章力を伸ばす』)

ヒント24 「と感じた」「と考えた」「と認識している」を削る

◆良いものを作っているだけでは売れない時代であると認識している

◇良いものを作っているだけでは売れない時代である。

 文章は、書き手が感じたこと考えたことを書くものであることを、読み手は承知しています。ですから、文末に「と感じた」「と考えた」「ではないかと考えられる」「と思います」「のように感じます」「と認識している」のように書くのは、多くの場合余計です。

(『文章力を伸ばす』)

◆現代の子どものコミュニケーション能力が低下しているという問題について考察をした

◇現代の子どもは、コミュニケーション能力が低下していると言われる。

 「という」も不要ですが、「考察をした」も不要です。改善案のように書けば、読み手はこの後に書き手の考えが述べられることを予想して、それを待っています。

ヒント25 難しい言葉で飾らない

 多くの人が無意識のうちに難しい言葉で文章を飾ろうとしています。特に仕事に関する文章では少し改まった表現を使うべきだという思い込みが、妨げになっています。

現在の職場環境としては、新しく入って来た人が職場の構成人員比率として高くなっているので、この状況でも間違いのない仕事ができるようにしていく必要がある。(75字)

職場で新入者の比率が高くなっているので、それでも間違いのない仕事ができるようにする必要がある。(47字、37%減)

 原文の最初の網掛け部分は、改善案のようにずっと短く表現できます。 「この状況でも」は不要です。原文にはこの前後にも、特に意味のない「状況」という言葉がたくさん書かれていました。
 必要がない所に、「状況」「現状」「存在」「背景」「視点」のような漢語を多用して、無意識に文章を飾ろうといている人が沢山います。

(『文章力を伸ばす』)

ヒント26 文頭をシンプルにする

 一般に、「○○は(が)」と書き始めると、シンプルで分かりやすい文になります。
 「○○において」「○○にとって」「○○によって」「○○とは」「○○ということは」「○○としては」のような書き出しは、ちょっと知的な香りがして魅力的かもしれませんが、文の形が複雑になります。そのため文頭と文末がうまくかみ合わなかったり、分かりにくくなったりしがちです。

◆私にとって学生時代に夢中になったこととは大学時代所属していた地元のオーケストラで担当していたホルンを吹くということでした。(63字)

◇私大学時代、地元のオーケストラでホルンを吹くことに夢中になっていました。(37字、41%減)

 「にとって」「こととは」という書き方をやめて、「私は」とするとシンプルになります。
 ついでながら、「大学時代」と書けば、「学生時代」は不要です。
 「オーケストラで」と書けば、「所属していた」は不要です。
 「担当する」と「吹く」も重複していました。

(『文章力を伸ばす』)

ヒント27 動詞をシンプルにする

 「学ぶ」と動詞1語で書く代わりに、「学びを受け取る」と名詞+動詞に分解するのが最近の流行ですが、冗長になります。

◆ただ今、ダイヤ乱れが発生しております。

◇ただ今、ダイヤが乱れております。

 「乱れが発生する」とわざわざ長く書かずに、「乱れる」とシンプルに書きましょう。

◆ペットを一時お預かりという形で対応させていただきます。

◇ペットを一時お預かりします。

(『文章力を伸ばす』)

 「お預かりという形で対応」はいかにも冗長です。「形」という言葉で無意味に飾る傾向が最近見られます。
 「同じことが、もっと少ない字数で書けないか」と、考える習慣をつけてください。

ヒント28 全体をシンプルにする

確かに日本を今以上に発展させるには、技術力や経済力などさまざまな要素が必要となる。現にそのようなものによって、今までの日本は先進国として世界のトップに立ち続けた。しかし、そのような高度な技術力や経済力がかつての日本で生まれたことにも、根底には私たち一人一人が幼いころから受けている教育関係しているのではないか。(156字)

◇日本は今まで技術力と経済力によって世界のトップに立ち続けて来たが、それは教育の成果である。これからも日本を支えてくれるのは技術力と経済力だから、教育には十分意を用いる必要がある。(89字、43%減)

  1. 「さまざまな要素」と書いて話を拡散させないで、ここでは「技術力と経済力」に焦点を絞りましょう。
  2. 「教育が関係している」という遠まわしな表現は避けて、「教育の成果だ」と書けば簡潔です。
  3. 原文は、まず将来のことを述べ、それから過去の話をしていますが、時間を追って書いた方が理解しやすくなります。「基本は時系列」(後述のヒント32)です。
  4. 「確かに」「現に」「しかし」というような、意味のはっきりしないつなぎ語は取り去ります。
  5. 「私たち一人一人が幼いころから受けている教育」という表現にも「教育」という以上の格別の意味はありません。これも無用な飾りです。

 無駄な言葉を取り去り改善案のように整理してみると、話はとてもシンプルになります。

(『文章力の基本』)

ヒント29 「ちょっと一息」 日本語の仕組み

 「彼は車を運転して、1人で仕事場に出かけた」という文の構造は、次のようになっています。

 彼は

出かけた(述語)

 車を運転して
 1人で
 仕事場に

 ここから、次のような日本語の特徴が見えてきます。

  1. 最後の述語が来て、初めて意味が確定する。何が言いたかったのか(結論)が分かる。
  2. 「彼は」以下の左の4つの言葉が、すべて述語の「出かけた」にかかっている。述語中心言語と言われる所以がここにある。
  3. 4つの言葉は、「出かけた」の修飾語のような性格を持っていて、互いに対等である。
    だから語順が自由である。思いつくままにどのような順にも書ける。
    例:「1人で車を運転して、仕事場に彼は出かけた」

ヒント30 「ちょっと一息」 英語の仕組み

 「彼は今朝早く奥さんに伴われて、心臓外科の専門医の診察を受けるために東京に行った」という文をもし英語で書くと、次のようになると思います。

He went to Tokyo
(述語)
early this morning
with his wife
to see a doctor
who is a specialist in heart surgery.

  すなわち英語の場合には、「東京に行った」という述語を冒頭に示し、その後にさまざまな説明を付け加えることができます。
 「今朝早く」「奥さんと一緒に」などの修飾句を後に添えたり、toで目的を説明したり、関係代名詞 whoでどのような医師かを説明できるからです。
 英語はこのような仕組みを持っているので、述語(結論)が最初に来ます。たくさんの修飾語を最初に並べた頭でっかちの文になりません。

 しかし、同じことを日本語で書く場合に、
 「彼は今朝早く奥さんに伴われて東京に行った。心臓外科の専門医の診察を受けるためである」
 とすれば、分かりやすさにおいて、英語とあまり遜色がなくなります。
 英語の関係代名詞は、もともと2つの文をうまくつなぐ道具ですから、それを持たない日本語は、文を分ければいいのです。
 日本語はその仕組みから、短く言い切ればとても分かりやすくなります。

(『シンプルに書く!』)

PR

電子書籍シリーズ『命ささらぐ』
(アマゾン他で発売中。1部280円+税)

「第1部 タイがこの上なくのどかであった頃」(続き)

 パダムの故郷
 パダムの田舎に遊びに行くことが決まったのは、我々がタイから日本へ帰任する一ヵ月前だった。バンコクから北へ六百キロの所に、タイ民族最初の都スコータイ(1257~1389)がある。その遺跡を訪ねる時に寄ろうということになったのである。

 パダムはその話が決まった時、いささか興奮気味であった。それまでも時々遊びに行く話が出たが、
 「電気もないよ。この家みたいな壁もないよ。ベッドもないし、オクサンたちはとても来られないと思うよ」
 と脅かしていたので、まさかと思ったのだろう。

 パダムの家は、ピサヌロークから西のスコータイへ向かう道を途中で右に折れて、車で約一時間の所にある。ぬかるみやデコボコの道をタクシーで揺られて、やがてある川のほとりに出た。
 そこにはパダムの弟が待っていて、幅約五十メートルのその川を丸木舟で漕いで渡ってくれた。川の流れは思ったより速く、舟は一旦川上に進んだ後、素早く漕いで丁度向こう岸の舟着場に着いた。
 この村に外国人が来たのは初めてなので、川岸には村人たちが集まってもの珍しそうに迎えてくれた。子供たちはカメラを向けるとひどく照れて、それでも嬉しそうに側を離れなかった。

 舟着場から歩いてすぐの所に、パダムの家はあった。七段のハシゴのついた高床式で、聞いての通り壁はなく、床と柱と屋根だけの誠に開放的な家だ。

 広さは二十畳ぐらいあったと思う。パダムが前もってせっせと掃除したらしく、家の中も周囲も清潔な感じだった。ハシゴの下に足洗い台がついていて、そこでよく足を洗った後、ハシゴを登る。家には両親と多くの兄弟がいて、にこやかに迎えてくれた。

タイトルとURLをコピーしました