Part 11 長文をスッキリ構成する

ヒント75 段落の長さと数

 小論文やエッセイ風の文章、手紙などは、普通いくつかの段落によって構成されています。
 私は経験的に、1つの段落は250字程度までに抑えるべきだと指導しています。それ以上の長い段落は、読む前から圧迫感を与えてしまいます。

 そもそも1つの段落は、1つの意味の固まりを示します。その内容は、1行で要約できる程度に絞るべきです。それ以上の内容を1つの段落に詰め込むと、まとまりのない文章になってしまいます。そのように考えると、1つの段落は自ずと250字程度までに収まります。

(『文章力を伸ばす』)

 日本語では、段落の頭1字下げが定着しています。それによって、新たな段落が始まったことが、視覚的にも読み手に伝わります。
 「ワード」の場合、上のリボンの「段落(右の斜め下向き矢印)」「最初の行」「字下げ」「1字」を最初に指定すれば、改行する度に自動的に次の段落の頭が1字下がります。

ヒント76 段落の骨子

 各段落の内容を1行程度に要約したものを、私は段落の「骨子」と呼んでいます。
 ある人が書いた「我が家の子供たち」という文章は、次のような内容の2つの段落からなっていました。

  内容
第1段落 我が家には小学校1年の男の子がいる。とても可愛い。仕事が忙しくて、子供と接する時間がなくて悲しい。子供の可愛い時期がバラバラなので、子育てを長く楽しめる。子供は3人で、上は高3の男の子、真ん中は中2の女の子だ。
第2段落 子供は三人三様で面白い。

 原文は第1段落にあまりに多くのことを詰め込み過ぎでした。また、子供が3人いることを書く前に「可愛い時期がバラバラ」と書くなど、話の順番も適切ではありませんでした。

 そこで次のような5つの「骨子」に整理しなおしました。

  • ① 我が家には、高3男、中2女、小1男の3人の子供がいる。
  • ② 下の息子が特に可愛い。
  • ③ 3人の可愛い時期がバラバラなので、長く子育てを楽しめる。
  • ④ 子供は三人三様で面白い。
  • ⑤ 仕事中心の生活で、子供に接する時間があまりないのが残念だ。

 

 そして、1つの骨子を1つの段落に収め、5つの段落からなる文章に構成しなおした改善案を作りました。

(『文章力を伸ばす』P. 169)

 原文では上記の⑤が、途中で思い付いた所に挿入されていましたが、改善案では子供に関する記述が全部済んだ後にしました。「同じ話はまとめて書く」です。
 より複雑な内容でも、同じようなステップを踏むと、長文の構成もうまく行きます。出来れば拙著の他の文例にも当たってそれを確認してみてください。

ヒント77 前提となる事実を最初に書く

(◆は原文、は改善案)

 一般に前提となる事実を最初に書くと、読むそばからスラスラ分かる文章になります。

◆当社は本年9月、東京の下町情緒を残す文京区根津より、東大を始めとする文教の地でありビジネス拠点として多くの企業がオフィスを構える、若さと活気ある街本郷へ本社を移しました

◇当社は本年9月、文京区根津から本郷へ本社を移しました。根津には東京の下町情緒が残っていましたが、本郷は東大を始めとする文教の地であり、ビジネス拠点としてオフィスを構える企業も多い、若さと活気のある街です。

 この例では、文末にあった「本社を移しました」という述語を1行目に移し、そこで句点を打ちました。根津から本郷へ移ったことをまず知ってもらい、それからそれぞれの土地の特徴を書けば、読み手に親切な文章になります。

 これはヒント43の、「挿入句は別の文にして添える」の例でもあります。原文にあった次の2つの挿入句を、別の文にしたのです。
 「(根津は)東京の下町情緒を残す街でした」
 「(本郷は)東大を始めとする文教の地であり、ビジネス拠点として多くの企業がオフィスを構える、若さと活気ある街です」

(『文章力を伸ばす』)

ヒント78 同じ話はまとめて書く

 長文の構成を考える時に、まず気を付けるべきことは、同じような話を飛び飛びに何度も書かないで、まとめて1ヵ所に書くということです。

私が育った町はとても交通の便が悪かったため、東京の便利さを実感している。まず、には電車の駅がない。電車に乗るためには、車で15分かけて隣の市に行かなくてはならない。バスも、1時間に1本である。しかも時刻表通りに来たためしがない。その上東京は、利用者が多いために運賃を安く設定できる。田舎では、そんな事情があるため電車やバスの利用者は限られてくる。たいていの人は車で移動している。

 この原文は、故郷 ⇒ 東京 ⇒ 故郷 ⇒ 東京 ⇒ 故郷という順に書かれているので、話が行ったり来たりしています。
 最初に故郷の話をすべて書いて、次に東京の話に転ずると、次のようにスッキリします。段落も、故郷の話と東京の話の2つに分けました。

私が育った町はとても交通の便が悪かった。まず、電車の駅がない。電車に乗るためには、車で15分かけて隣の市に行かなくてはならない。バスも1時間に1本である。しかも時刻表通りに来たためしがない。たいていの人は車で移動している。
だから東京に来てからは、その便利さを実感している。東京は利用者が多いので、運賃も安く設定できる。

(『文章力を伸ばす』『文章力の基本100題』)

ヒント79 「ちょっと一息」「すごく」は死んだか?

 「早い時間に」の「早い」は、「時間」という名詞を修飾しています。形容詞と呼ばれます。
 「早く起きた」の「早く」は、「起きる」という動詞を修飾しています。副詞と呼ばれます。
 文法用語は忘れていただいてもいいのですが、「早い」と「早く」は別の言葉として明確に使い分けられています。「早く時間」とか、「早い起きた」とは言いません。

 しかるに、「すごい」と「すごく」について見ると、「すごく」は、死滅しつつあるかのようです。「私はすごく嬉しい」が本来ですが、最近は多くの人が、「私はすごい嬉しい」と言っています。
 テレビでも、「すごい上手になった」という字幕を見かけました。解説委員の座談会でも、「…とすごい実感しています」という発言がありました。
 「すごい便利です」「すごい困ります」が、もう普通になってしまいました。次のような例も頻繁に見かけます。

◆ペットホテルにウサギを預けるお客様が、すごい増えています。

◇ペットホテルにウサギを預けるお客様が、すごく増えています。

◇ペットホテルにウサギを預けるお客様が、とても増えています。

 この風潮はもう押し留めることができないかもしれませんが、「すごい」と「すごく」は、やはり使い分けたいと思います。

(『文章力を伸ばす』『文章力の基本100題』)

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「第5部 若き日」(続き)

 三宅島への旅 (高校2年)
 (雄山の)山頂にたどり着くまでに、少々苦労した。途中で両側の茂みがだんだん道を塞ぐようになり、ほとんど人が通った跡がなくなったので、引き返して別の道を探した。

 やがて、砂丘のように木が全く生えていない所を通り過ぎた。黒い火山弾を踏みしめて歩く。あまりの暑さに息が切れる。

 再び灌木の中を行くと、突然、
 「この山に入ってはいけません」
 と黒々と書かれた木札が現れた。五人でそれを眺めながらしばらく唸った。

 木立の中を急坂が続いていた。石がゴロゴロした道だ。ハーハー言いながら、やっとのことで登った。はるか下に、青い海が見える。アジサイの中に埋まって写真を撮った。
 二、三度道を見失いかけて、道の続きを探した。つづら折の道の、折れ曲がる辺りが崩れていて、上の道まで一メートルくらいを木につかまってよじ登らねばならない所もあった。

 やっと頂上が近づいたらしい。道がほとんど水平になった。その尾根を小走りで進むと、
 「出た!」
 と叫んだ。目の下に直径約一・八キロの火口原「八丁平(はっちょうだいら)」がまるで湖面のように広がっていた。
 (この旅は原体験になった。この後、三宅島には数えきれないほど通うことになった。雄山の山頂の火口原は、2000年の大噴火で530メートルも陥没してしまった)

 東北へ向かう列車から (大学1年)
 誰もいない踏切が、ひとりでカランカランと鳴っていた。一度陰った陽が、また暑く照り始めた。線路際の一軒の農家の中が、一瞬見えてすぐ木立に隠れる。縁先で、若い母親が両方の胸をはだけて、赤ん坊に乳をやっていた。しばらくの間、潅木の間を列車が通る。セミがうるさく鳴いている。チリチリというような、単調で乾いた鳴き声……。

 一瞬、風景がサッと開けた。遥かかなたまで続く畑の鮮やかな緑の中に、黒い電信柱が何本か立っている。その向こうにこんもりとした木立と、藁葺き屋根の農家が見える。遠くの白い道を、バスと小型トラックが、列車に平行して走っている。自転車が畦道を行く。いくつかの墓石が見えた。
 遠い一点を中心にして、風景が大きく回転して行く。畝と畝の間の黒い土が見えてはまた消えて行く。

 宇都宮を過ぎると、再びどこまでも緑の世界が続いた。いつのまにか、空は薄灰色に曇っている。二羽の黒いカラスが、畑すれすれに飛んでいる。
 四時を回った。やがて滑り込んだ駅は、西那須野。背中のあたりが、むんむんと暑い。緑と黒の世界の中に、一つ赤い布団が干してあった。

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